おわりとはじまり

お疲れさまでした。
そしてありがとうございました。

まだ、あのページはスマホのクロームの一番最初のタブで開いてあります。

このサイトにアクセスできません

っていうパワーワードしか表示されませんけど(苦笑)

5年半くらいでしょうかね、お世話になったのは。
やはりなんだかんだ、結局バックアップをとれなかった部分があるのは悔い。
でも自然というか、なるべくしてなったのかなと。
だって、しようと思ったら落ちてるし、できないときに復活するし(笑)
これは運命が全力で私にバックアップとらせないつもりだなって(笑)

サービス終了も受け入れるしかないというか、これはもう止められないんだなって、すごく思いました。
それはもう本当にみんながやれる限りを尽くしたと思ったから、というのもある…かな。

建物だって、古くなったり誰も管理しないのに、すっと在り続けるのは無理だし、利用もし続けられない。
それと同じだよなぁって。

本当はもっといろいろ振り返りたかった。
あそこの寂しいところは、退会ユーザーのCLIPはおろか、もらったコメントもきれいさっぱりなくなってしまうこと。
会話が一方通行に残ってしまうこと。
思い出したかったな。
元気にされていたらいいな…というのと、悲しい顔をされてないといいな…というのと。

あしあと的な機能は、いやだなーと思ったこともあったけれど、だからこその良さがあった。
人が読んでくれている、この人が読んでくれている…ということから生まれる絆もあったように思う。

私が書いていたのはほぼほぼ恋愛のこと。
苦しかったよね、最初の頃は特に。
誰にも言えないし、親友くらいに思ってる友達にも否定されたし(今は見守ってくれてると思う)。
最初はさ、本名も教えてもらえない、電話番号もメアドも教えてもらえない、音信不通期間がすぐできる、最長一年近く会えない、連絡とれない期間も最長半年とか?
………( ◠‿◠;;;;;;; )
やっぱり弄ばれてるのかも( ◠‿◠;;;;;;; )
今振り返ってもひどいなぁと思います(笑)
まぁひどいわけでは……ない??んだけど…ね。
そんな日々になにかを吐露できる場所であったし、読んでくれる人がいて、励まされたり慰められたりしました。

終わる間際は思いがけず、じーんとしました。
そういう時間だからなるべくしてそうなったのかもしれないけれど。

なにかを失うことはそんなに悪いことじゃないです。
人の手には限界があるから、失わないと新しいなにかは得られないですし。
なにかが終わればなにかがはじまります。
はじめられるんです。

でもSくんを失うのはいやですー(笑)

まだね、このサイトにアクセスできませんを、相変わらずリロードしちゃうんですよ。
朝と帰りの電車とか、休憩時間とか、いつも見てたようなタイミングで。

でも、この先もこの方の文章を読みたいなって方々と繋がれたのは楽しみでもあり。
繋がれなかった寂しさも一方であるのだけれども。
私も一応こうして新しいものなんてはじめてみて。
noteも久しぶりにログインして(笑)
インスタはそのまんまだけど…。
(今年まだ普通の投稿してないからしないとw)

新しい日々を生きていきたいなぁという感じがします。

でも忘れたりはしないかな。
そういう場所があったこと。
そこに人がいたこと。
関わったりしたこと。
薄れても忘れはしないんじゃないかな。

日常を綴ろう。